12/06/2026
『今日の工房』2026年6月12日(金)筑波大学附属視覚特別支援学校 資料室様所蔵 凸字・点字資料の保存修復処置 -データベース作成、電子化、公開へ向けた取り組み-
筑波大学附属視覚特別支援学校は、その前身である「楽善会」が明治初期に創設されて以来、視覚障害教育の中心的役割を担ってきました。同校の資料室には、国内外の盲教育に関する資料や点字教科書が収蔵されており、点字制定以前の盲教育や文字教育の歴史をたどる展示も行われています。
筑波大学附属視覚特別支援学校ホームページ>資料室・常設展示室の紹介https://www.nsfb.tsukuba.ac.jp/shiryou/siryosit_d.html
※見学は要問合せ
(本記事に掲載する画像は、弊社が撮影した作業記録画像の一部です)
日本において点字が制定されたのは1890年(明治23年)に遡ります。それ以前は、紙を文字の形に浮き上がらせた凸字が学校教育の教科書などで用いられていました。現在広く用いられている点字は、フランスのルイ・ブライユが1825年に考案した6点点字を基礎としており、各言語に対応した点字が使用されていますが、海外においても、それ以前はアルファベットによる凸字や、イギリスで開発されたムーンタイプ(丸と線で表す文字)など、文字の輪郭を触って読むものが主流でした。
日本近代の盲教育は、明治維新後、京都と東京それぞれに教育機関が設立されたことを契機に大きく発展しました。1887年(明治20年)に東京盲唖学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)の助教諭となった石川倉次(いしかわくらじ)は、ブライユの6点点字を日本語の五十音へ翻案する研究に取り組み、1890年(明治23年)に「日本訓盲点字」として制定されるに至りました。今回お預かりした資料の中には、石川が当時の教員や生徒らとともに試行錯誤を重ねながら研究を行った経過記録が多く含まれています。今回は、これら12点(約200枚)の資料についてデータベース作成を進めるにあたり、電子化に向けた処置や保存対策についてご相談を受け、所蔵元、および研究者との協議のもと、作業を実施することになりました。
私たちは常に、利用に供するための保存修復を意識して「資料保存」に取り組んでいますが、触覚型資料、なかでも点字のように視覚だけでは捉えきれない情報をもつ資料に対して、どこまでアプローチするかという判断は、すべての工程において難しい課題でした。特に、墨字が付されておらず点字のみで記された資料では、視覚的に確認できる手がかりが限られるため、文章のはじまりや終わり、紙の上下を判別するにも慎重な観察を要するなど、点字資料特有のこうした条件は、作業時の緊張感をいっそう高めるものでした。さらに今回は、斜光撮影による電子化を予定していたため、紙の波打ちや折れ、皺が撮影時に強調されないよう調整する必要がありました。一方で、過度な加湿や圧力は、点字そのものを変形させる可能性があります。そのため今回の処置では、「点を守りながら、点以外を整える」という非常に繊細な調整が求められました。
作業はまずドライ・クリーニングから開始しました。点の突出具合は1枚ごとに異なるため、紙質と点部分の堅牢さを見ながら、刷毛やクリーニングスポンジを数種類使い分けました。破れの修補では、点の位置を一つひとつ確認しながら、接着に用いるでんぷん糊の水分が移行して点を変形させないよう、慎重に作業を進めました。また、折れや皺の伸展には手元用の超音波加湿器を用いて加湿レベルを調整し、点部分に影響がないよう細心の注意を払いました。乾燥工程では、通常用いられる表面が滑らかなろ紙や、重石、プレス機を使用せず、厚手で柔らかいフェルト生地を使用することで、点への圧力を軽減しつつフラットニングを行いました。電子化を終えた資料は、保存環境を整えるためにそれぞれの形態およびグループに応じて適切なアーカイバル容器を作製し、収納しました。
これらの資料は、目で読むことができない人に文字をどう届けるかを問い続けた試行錯誤の記録でもあります。私たちもまた、その触覚情報を視覚だけに頼らず、どのように守るかという課題に向き合うことになりました。検討を重ねながら慎重に作業を進めた結果、処置内容そのものは基本的な範囲にとどまりました。しかし、過度な介入を避けることが、結果として資料本来の保存性を最大限に守ることにつながったと考えています。
今回の取り組みを通して見えてきたのは、点字や凸字に見られる凹凸そのものが資料の内容を構成していること、電子化の撮影方式が修復方針にも大きく影響すること、そして介入を最小限にとどめることが、結果として資料の保存性と情報の維持につながる場面があること——という三つの視点でした。触覚的な情報を含む資料をどのようにアーカイブしていくのか、本事例はその一端を示す試みでしたが、これを通じて、資料保存が単なる作業ではなく、所蔵者、研究者、撮影、そして保存修復に関わるそれぞれの立場が、目的を共有しながら進める協働の積み重ねであることを改めて実感しました。
最後に、筑波大学附属視覚特別支援学校様には弊社ホームページへの掲載をご快諾いただき誠にありがとうございました。また、お力添えいただいた関係者の皆さま、特に、DNP文化振興財団グラフィック文化に関する学術研究助成B部門の助成により本プロジェクトを実現されたお茶の水女子大学附属図書館の飯塚希世様と資料室担当の先生方には、盲教育の歴史と凸字・点字の製作方法について知見をいただき、保存方針の策定へ向けてご助言を賜りました。ご協力に心より感謝申し上げます。
【関連記事】
『今日の工房』
・2015年3月30日 内外ニュース&レポート編:視覚障害者用の本(1840年刊)を修理する
https://www.hozon.co.jp/koubou/post_10018
・2025年10月8日 立教大学図書館様所蔵 活字組版への処置・保存容器の作成
https://www.hozon.co.jp/koubou/post_19640
・2026年2月9日 明治学院歴史資料館様所蔵 沖野岩三郎手稿コレクション ― 修復とデジタル公開の取り組み
https://www.hozon.co.jp/koubou/post_20157
【関連情報】
現在開催中の企画展『名著誕生展 ヴァチカン教皇庁図書館Ⅲ+』(印刷博物館 会期:2026年4月25日〜7月20日 https://www.printing-museum.org/collection/exhibition/t20260425.php )にて、目の不自由な子供が地理の授業で使うためにフランスで制作された凸字の教科書『地理学の基礎(視覚障がい者のための地理入門書) https://www.printing-museum.org/collection/looking/41127.php 』を展示中です。この機会にぜひ実物をご覧になってみてください。
【参考】
・Helen Kuncicky. (2007). Saving Raised Dots: A Feel for Braille Materials and Preservation.
https://helenkbailey.com/Documents/Braille_Preservation_Survey_Report.pdf
・Lisa J Sisco. (2015). Braille preservation: recognising and respecting archival materials produced by and for the blind. Archives and Manuscripts. Volume 43, Issue 1.
https://www.tandfonline.com/doi/epdf/10.1080/01576895.2014.993408?needAccess=true
・Donna Koh. Digitizing Braille Music 2018. Library of Congress blogs posted on April 26, 2018
https://blogs.loc.gov/nls-music-notes/2018/04/digitizing-braille-music-2018/