群馬県立歴史博物館

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【暖かい日はフィールドワークへ出かけようその8】小栗ゆかりの地へ(5) 令和9年のNHK大河ドラマの主人公「小栗上野介」ゆかりの地を巡ってきました。今回は東京の御茶ノ水です。なぜ御茶ノ水かと言うと、そこに「小栗上野介屋敷跡(生誕の地)」があ...
22/03/2026

【暖かい日はフィールドワークへ出かけようその8】
小栗ゆかりの地へ(5)

 令和9年のNHK大河ドラマの主人公「小栗上野介」ゆかりの地を巡ってきました。今回は東京の御茶ノ水です。なぜ御茶ノ水かと言うと、そこに「小栗上野介屋敷跡(生誕の地)」があるからです。

 幕末に小栗上野介の暮らした邸宅があった場所を見に行ってきました。ただし、現在は区による看板が立つのみで、御茶ノ水駅前大通りの繁華街となっています。写真を撮りましたが、邸宅跡とわかるようなものはなく面影は残っていません。
 ちなみに場所は、当館特別館長の若狭が勤務する明治大学の目の前です。

【暖かい日はフィールドワークへ出かけようその7】小栗ゆかりの地へ(4) 令和9年のNHK大河ドラマの主人公「小栗上野介」ゆかりの地を巡ってきました。前回の記事に書いた小高用水を見た後、観音山小栗邸跡(高崎市指定史跡)を訪ねました。 権田に隠...
21/03/2026

【暖かい日はフィールドワークへ出かけようその7】
小栗ゆかりの地へ(4)

 令和9年のNHK大河ドラマの主人公「小栗上野介」ゆかりの地を巡ってきました。前回の記事に書いた小高用水を見た後、観音山小栗邸跡(高崎市指定史跡)を訪ねました。

 権田に隠遁し東善寺を仮住まいとした小栗は、観音山と呼ばれる小高い場所に邸宅を構えようとしました。しかし、斬首となったためこの地では完成されなかったようです。現在は礎石のみ残り、市の指定史跡となっています。上り道はキツイですが、小栗もこの道を登ったのだろうかと考えながら歩きました。そして、礎石を調査して振り返ると、とても良い眺望でした。この風景は江戸時代から変わっていないのでしょう。

【暖かい日はフィールドワークへ出かけよう その6】小栗ゆかりの地へ(3) 令和9年のNHK大河ドラマの主人公「小栗上野介」ゆかりの地を巡ってきました。今回は高崎市倉渕を流れる小高(こたか)用水を訪ねます。 権田(ごんだ)の小高集落(高崎市倉...
20/03/2026

【暖かい日はフィールドワークへ出かけよう その6】
小栗ゆかりの地へ(3)

 令和9年のNHK大河ドラマの主人公「小栗上野介」ゆかりの地を巡ってきました。今回は高崎市倉渕を流れる小高(こたか)用水を訪ねます。

 権田(ごんだ)の小高集落(高崎市倉渕支所から見て北部山中)には、幕末に隠遁した小栗上野介が引いた用水路があります。山中のため利水に苦心していた民が小栗に要望したところ、測量や土木工事を手配し用水路をつくったとされます。この用水は現在でも利用され、この地を潤しています。
 車を近隣の道の駅に停め、上り坂を歩くこと数十分。真夏でなくて良かったと感じる一方、実りの季節にはこの斜面を青々とさせるのであろう用水を想像しました。

【暖かい日はフィールドワークへ出かけよう その5】小栗ゆかりの地へ(2) 令和9年のNHK大河ドラマの主人公「小栗上野介」ゆかりの地を巡ってきました。今回は下仁田町中小坂(なかおさか)でフィールドワークです。下仁田町の中小坂鉄山は小栗上野介...
19/03/2026

【暖かい日はフィールドワークへ出かけよう その5】
小栗ゆかりの地へ(2)

 令和9年のNHK大河ドラマの主人公「小栗上野介」ゆかりの地を巡ってきました。今回は下仁田町中小坂(なかおさか)でフィールドワークです。

下仁田町の中小坂鉄山は小栗上野介が開発を提唱したとされ、明治初期から掘削された鉄山です。山の麓には製鉄所が建てられ、鉄山で採掘した鉄鉱石をその場で製錬していました。現在は山中に坑道跡が残り、製鉄所があった場所は下仁田町の指定史跡として保存されています。
 実は夏に訪れた際はヤマビルが多かったため入山を断念。ヒルの発生時期を過ぎたので現地保存会の方々の案内を得ながら調査を実施しました。麓には建物があった場所の石垣が今でも残り、古写真と比べることができます。
(※町指定史跡となっている製鉄所跡は山の麓なので簡単に行くことができますが、山中は地元の方の案内が必須です)
 ちなみに近年、群馬県埋蔵文化調査事業団によって発掘調査が行われ、2026年1月に報告書が刊行されています。

【暖かい日はフィールドワークへ出かけよう その4】小栗ゆかりの地へ(1) 令和9年のNHK大河ドラマのテーマに「小栗上野介」が選ばれました。そこで、今回は小栗ゆかりの地を巡ってきました。 まずは横須賀へ。日米修好通商条約の批准書を取り交わす...
18/03/2026

【暖かい日はフィールドワークへ出かけよう その4】
小栗ゆかりの地へ(1)

 令和9年のNHK大河ドラマのテーマに「小栗上野介」が選ばれました。そこで、今回は小栗ゆかりの地を巡ってきました。
 まずは横須賀へ。日米修好通商条約の批准書を取り交わすためにアメリカに渡った小栗は、帰国後に横須賀製鉄所(造船所)の建設を推進します。その建設指揮に大きく関わったのが、フランス人技師のヴェルニーでした。横須賀市ヴェルニー公園からは製鉄所の跡地が見え、記念館には製鉄所で使われていた大型のスチームハンマー(国指定重要文化財)が展示されています。
 公園を散歩していると、小栗とヴェルニーの銅像が横並びになっている所に出くわしました。まるで海やその先を見ているようです。

08/03/2026

【世界遺産 縄文】ついに最終日です!

07/03/2026

【世界遺産 縄文】明日が最終日です!

いよいよ明日3月8日(日)が最終日となりました!
たくさんの皆様にご来館いただいた「世界遺産 縄文」展、まもなく終了です。ぜひお見逃しなく。

X(旧Twitter)にて先行公開しておりました閉幕までのカウントダウン動画(あと5日・あと3日)を、Facebookでも公開いたします。担当者の力作ですのでぜひご覧ください。

【「世界遺産 縄文」遮光器土偶】国指定重要文化財手代森遺跡 文化庁蔵・岩手県立博物館保管 顔の大部分を占める大きな目が印象的です。遮光器土偶の目は、スキーのゴーグルみたいですね。エスキモーが、雪の光の反射を防ぐためにかけている遮光器(ゴーグ...
03/03/2026

【「世界遺産 縄文」遮光器土偶】国指定重要文化財
手代森遺跡 文化庁蔵・岩手県立博物館保管

 顔の大部分を占める大きな目が印象的です。遮光器土偶の目は、スキーのゴーグルみたいですね。エスキモーが、雪の光の反射を防ぐためにかけている遮光器(ゴーグル)に似ていることから、この名前が付けられました。眉間にあるのが鼻で、頭には冠のような飾りがあります。顔がやや傾いており、首をかしげているようでかわいらしいです。胴体の部分にも飾りがあり、細かいところまで念入りに作られています。金属でできているようにも見えますが、粘土で作った焼き物です。上からのぞくと少し分かりますが、中は空洞になっています。現在は、黒っぽい色をしていますが、遮光器土偶には、赤色顔料が残っているものが多いので、この土偶も赤く塗られていたかもしれません。発見されたときは、他の土偶と同じようにバラバラで見つかりました。それを修復してこのように立派な姿になりました。
 このような遮光器土偶は、縄文晩期に東北地方で多く作られました。この土偶は、岩手県盛岡市の手代森(てしろもり)遺跡から出土したものです。普段は、岩手県立博物館にありますが、3月8日まで当館の企画展「世界遺産 縄文」で見られます。ぜひ、遮光器土偶に会いに来てください。

【「世界遺産 縄文」 ~埋葬されたイヌ~】 好評を博している第113回企画展「世界遺産 縄文」展。「遮光器土偶」、「中空土偶」、「亀ヶ岡式土器」など見どころがたくさんあり、観覧された方は自分の「推し」を見つけられたのではないでしょうか。 私...
20/02/2026

【「世界遺産 縄文」 ~埋葬されたイヌ~】

 好評を博している第113回企画展「世界遺産 縄文」展。「遮光器土偶」、「中空土偶」、「亀ヶ岡式土器」など見どころがたくさんあり、観覧された方は自分の「推し」を見つけられたのではないでしょうか。
 私の「推し」は、北小松遺跡(宮城県大崎市)の「埋葬されたイヌ」です。まだ若いイヌで、足の一部が欠けています。狩猟の際に傷を負い、その傷がもとで命を落としたのでしょうか。この展示資料から、この遺跡の縄文人は、イヌが死ぬと解体したり適当に遺棄したりはしなかったことがわかります。イヌは、縄文人にとって大切なパートナーでした。この展示資料を観ると、縄文人がどんな気持ちでこのイヌを埋葬したのかを想像することができます。
 イヌは旧石器時代に人類が初めて家畜化した動物で、人間に付いて移動します。神奈川県夏島貝塚からは、縄文時代早期初頭の約9400年前のイヌの骨が出土しています。また愛媛県上黒岩岩陰遺跡(約7300年前)からは、埋葬された可能性のあるイヌの骨が出土しています。これらの骨の特徴は、縄文後期から晩期にかけて見つかるイヌの骨と大きな差はなく、大きさは現在の柴犬と同じくらいです。弥生時代になり渡来人が大陸からやってくると、縄文犬とは別のイヌも人に付いて来日しました。弥生時代の遺跡から出るイヌの骨には解体痕があるものがあり、イヌが食用されていたことが指摘されています。またこの段階で、縄文犬との交雑の可能性があります。
 次の古墳時代、首長の狩猟の様子を再現した埴輪の中に犬形埴輪があることから、イヌは猟犬として飼育されていたようです。ただし天武天皇は675年に、牛・馬・犬・鶏・猿の肉食を禁止する命令を出しています。殺生を戒める仏教の影響から出された命令ですが、命令を出したということは、逆にそれらの獣肉を食していたからと考えられます。その後イヌは、猟犬や番犬、愛玩犬、または野良犬として存続していたようで、猟の対象や住んでいる所などに合わせた体格にそれぞれが変化していったと思われます。
 中世では犬追物という武芸の訓練に役立てられました。射貫かないように「犬射引目(いぬうちひきめ)」という特殊な鏑矢を使用しましたが、当たればかなり痛かったと思います。
 明治になると洋犬との交雑があり、今でもその影響が残っているものの、秋田犬など日本犬種の中にはかつての特徴を色濃く残している個体同士で子孫を残す努力を続け、その犬種の保存が図られてきたそうです。
 話を縄文時代に戻しますが、イヌは猟犬や番犬としてヒトに「使役」されていたことは事実です。イヌは集団の一員として、自分の役割を果たしほめられることに喜びを感じていましたが、家畜であることに変わりはありません。また自然に左右されることの多い縄文時代の生活では、エサの質・量が落ちたり、エサが与えられなかったりなど、イヌにとっても大変な時代だったでしょうし、貝塚から出てくるイヌの骨はそれ以上の過酷な結末があったことを想起させます。しかし、少なくともこの展示資料からは、縄文人のイヌへの思いが伝わってきます。埋葬されたこのイヌは、生きていた時は幸せに暮らしていたのでしょう。

写真1 埋葬されたイヌ 北小松遺跡(宮城県大崎市)東北歴史博物館
写真2 JR秋田駅「なまはげと秋田犬」(当館職員撮影)

【「世界遺産 縄文」関連展示「ぐんまの縄文」開催中】 現在、当館では「世界遺産 縄文」の関連展示として、原始常設展示室にて「ぐんまの縄文」を開催しています。 桐生市川内町にある千網谷戸遺跡の出土品を紹介しています。この遺跡は縄文時代晩期の前...
14/02/2026

【「世界遺産 縄文」関連展示「ぐんまの縄文」開催中】

 現在、当館では「世界遺産 縄文」の関連展示として、原始常設展示室にて「ぐんまの縄文」を開催しています。
 桐生市川内町にある千網谷戸遺跡の出土品を紹介しています。この遺跡は縄文時代晩期の前半のもので、住居跡からは大量の出土品が見つかりました。その中でも有名なものが写真の土製耳飾りです。透かし彫り技法を用いた大型の土製耳飾りが多数出土していることが最大の特徴です。
 土製耳飾りだけではなく、住居跡から出土した土器も展示しています。この機会に特別に展示しているものもありますので、ぜひご覧ください。

【跪坐(きざ)する男子】デジタル埴輪展示室/国指定重要文化財「跪坐する男子」は、太田市龍舞町の塚廻り4号古墳から出土しました。(写真1) 両足を爪立てて正座をしている大変珍しい埴輪です。「跪坐」とはひざまずいて座ることを意味し、この埴輪から...
20/01/2026

【跪坐(きざ)する男子】デジタル埴輪展示室/国指定重要文化財

「跪坐する男子」は、太田市龍舞町の塚廻り4号古墳から出土しました。(写真1)
 両足を爪立てて正座をしている大変珍しい埴輪です。「跪坐」とはひざまずいて座ることを意味し、この埴輪から、古墳時代の日本列島には、ひざまずく習慣があったことが想像できます。ちなみに『魏志倭人伝』の中では、「下級のものが貴人に出会ったときは、跪(ひざまず)いて、両手を地に着け、うやうやしさを表す」と、倭人の習慣として紹介されています。
 髪型は振り分け髪に下げ美豆良で、首飾りや籠手、鈴付き腕輪を着け、大刀を腰に備えています。
 「跪坐する男子」は、発見された際、「椅座(いざ)の男子」の目前にあったことから、主人と従者の対面の場が表現されたと考えられます。「椅座」とは椅子に座るという意味です。当館では、並べて展示しています。(写真2)
 6世紀前半に築かれた塚廻り4号古墳の埴輪は、造形的に大変美しく、埴輪を作る名人がいたと思われます。

住所

綿貫町992− 1
Takasaki-shi, Gunma
3701293

電話番号

+81273465522

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