伊達政宗公の居城「青葉城本丸会館」

伊達政宗公の居城「青葉城本丸会館」 西暦1601年(慶長五年)伊達政宗公が新たに築いた、日本第二の規模を誇る壮大な城!

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5/29㈮、晴れ。気温25℃。本日の仙台城本丸「艮櫓跡」(うしとらやぐらあと)。本丸の北東位置には伊達政宗時代に艮櫓という三重櫓が建てられていた。その石垣下より 金箔瓦が出土しており、艮櫓は軒の丸瓦と平瓦に金箔を施した瓦を採用していたことが...
29/05/2026

5/29㈮、晴れ。気温25℃。本日の仙台城本丸「艮櫓跡」(うしとらやぐらあと)。
本丸の北東位置には伊達政宗時代に艮櫓という三重櫓が建てられていた。その石垣下より 金箔瓦が出土しており、艮櫓は軒の丸瓦と平瓦に金箔を施した瓦を採用していたことが明らかになっている。
仙台城の金箔瓦は、山形城で発見されるまで日本の城での出土例としては最北であった。

#仙台城本丸  #艮櫓跡  #伊達政宗時代  #三重櫓  #金箔瓦  #山形城

5/11㈪朝、快晴。本日の 仙台城本丸跡「懸造跡」(かけづくりあと)。懸造は、「築城期の仙台橋⇒花壇「御仮屋」⇒霊場「経ヶ峰」(虚空蔵堂あり)⇒太平洋」に向けて建てられていた。築城期、登城する時に渡る当時唯一の橋であった仙台橋からよく見え、...
11/05/2026

5/11㈪朝、快晴。本日の 仙台城本丸跡「懸造跡」(かけづくりあと)。
懸造は、「築城期の仙台橋⇒花壇「御仮屋」⇒霊場「経ヶ峰」(虚空蔵堂あり)⇒太平洋」に向けて建てられていた。
築城期、登城する時に渡る当時唯一の橋であった仙台橋からよく見え、仙台橋・花壇「御仮屋」あたりから見上げる時、お城のシンボルの役割を果たしていた。懸造は、築城期の仙台橋あたりから見上げた時の景観を意識して建てられたのであり、よって城下町の方を向いていなかったのである。

#仙台城本丸跡  #懸造跡  #花壇御仮屋 #経ヶ峰

5/7㈭昼、快晴。本日の 仙台城本丸「大台所跡」(おおだいどころあと)。大広間につぐ巨大な建物で片屋根の煙出し(けむだし) が特徴的。本丸に詰めている家臣たち数百人と、政宗公の家族など「奥」で暮らす者たちの食事をつくる。火を使い、煙出しがあ...
07/05/2026

5/7㈭昼、快晴。本日の 仙台城本丸「大台所跡」(おおだいどころあと)。
大広間につぐ巨大な建物で片屋根の煙出し(けむだし) が特徴的。本丸に詰めている家臣たち数百人と、政宗公の家族など「奥」で暮らす者たちの食事をつくる。
火を使い、煙出しがあるため瓦葺であった。

#仙台城本丸  #大台所跡  #煙出し

4/27㈪朝、雨。本日の仙台城本丸跡。青葉城資料展示館では、伊達政宗公のお抱え刀匠「藤原國包」(ふじわらのくにかね)の刀と脇差の展示がはじまりました。國包が「山城大掾」(やましろだいじょう)を受領したのは寛永四年(1627)頃で、以降「山城...
27/04/2026

4/27㈪朝、雨。本日の仙台城本丸跡。
青葉城資料展示館では、伊達政宗公のお抱え刀匠「藤原國包」(ふじわらのくにかね)の刀と脇差の展示がはじまりました。
國包が「山城大掾」(やましろだいじょう)を受領したのは寛永四年(1627)頃で、以降「山城大掾藤原國包」と銘を切る。
國包は古作・大和鍛冶保昌派(ほうしょうは)の末流と称し、その作風は純然たる保昌風であり、古作に迫るものがある。

#仙台城本丸跡 #伊達政宗公 #藤原國包 #山城大掾藤原國包 #刀 #脇差

4/26㈰朝、晴れ。本日の仙台城本丸「大広間」遺構表示の「葵の間」(あおいのま 別名「芙蓉の間」)。この間は、外に面していない内向きの間で、表の間の金地彩色とは異なり、銀地彩色で葵が描かれていた。大広間は、表の間は金地彩色を施し狩野派の新し...
26/04/2026

4/26㈰朝、晴れ。本日の仙台城本丸「大広間」遺構表示の「葵の間」(あおいのま 別名「芙蓉の間」)。この間は、外に面していない内向きの間で、表の間の金地彩色とは異なり、銀地彩色で葵が描かれていた。
大広間は、表の間は金地彩色を施し狩野派の新しい技法で描く。裏の間(葵の間、御帳台の間)は銀地彩色を施し伝統的な大和絵の技法を用いた絵を描いている。
大崎八幡宮と瑞巌寺で用いられた「金地彩色」と「水墨画」の二重性が、仙台城大広間では、「金地彩色」と「銀地彩色」に変換されているのである。

#仙台城本丸  #大広間  #葵の間  #芙蓉の間  #銀地彩色

4/24㈮朝、晴れ。本日の仙台城本丸「埋門跡」(うずみもんあと)。本丸の南側には、平屋建て瓦葺きの「埋門」が建てられていた。埋門の入城ルートは、連続虎口といい、「二折れ」させる枡形の防御性の高いものである。これは伊達氏系城郭の特徴であると考...
24/04/2026

4/24㈮朝、晴れ。本日の仙台城本丸「埋門跡」(うずみもんあと)。本丸の南側には、平屋建て瓦葺きの「埋門」が建てられていた。
埋門の入城ルートは、連続虎口といい、「二折れ」させる枡形の防御性の高いものである。これは伊達氏系城郭の特徴であると考えられる。
連続虎口は織豊系城郭にもみられるが、伊達家では戦国期の西山城西館の桝形虎口(福島県伊達郡桑折町)にもみられ、伊達氏系城郭技術の継承と考える。

#仙台城本丸 #埋門跡 #連続虎口 #西山城西館

4/20㈪朝、晴れ。本日の仙台城本丸「御守殿跡」(ごしゅでんあと)・「長局跡」(ながつぼねあと)。「奥」の奥書院の西側には「御守殿」と「長局」が建てられていた。御守殿は政宗の側室と子息の生活の場。政宗次女牟宇姫(むうひめ 伊達家一門筆頭石川...
20/04/2026

4/20㈪朝、晴れ。本日の仙台城本丸「御守殿跡」(ごしゅでんあと)・「長局跡」(ながつぼねあと)。
「奥」の奥書院の西側には「御守殿」と「長局」が建てられていた。御守殿は政宗の側室と子息の生活の場。政宗次女牟宇姫(むうひめ 伊達家一門筆頭石川宗敬正室)とその実兄 宗高(村田伊達家当主 母はともに柴田氏於山方)はここで生れたとされる。
長局は女中衆の居所であった。
長局跡には、現在青葉城資料展示館が建っている。

#仙台城本丸  #御守殿  #長局  #伊達政宗  #牟宇姫  #伊達宗高

4/19㈰朝、晴れ。本日の仙台城本丸「奥書院跡」(おくしょいんあと)。本丸の中でも北側にある「表」は、政宗公と家臣が政務を行い、儀式・儀礼を行い、家臣が詰めている空間。南側にある「奥」は、政宗公と家族が生活する空間。その「奥」には、東側の崖...
19/04/2026

4/19㈰朝、晴れ。本日の仙台城本丸「奥書院跡」(おくしょいんあと)。
本丸の中でも北側にある「表」は、政宗公と家臣が政務を行い、儀式・儀礼を行い、家臣が詰めている空間。南側にある「奥」は、政宗公と家族が生活する空間。
その「奥」には、東側の崖近くに政宗公が夜間いる居間である「奥書院」があった。

#仙台城本丸  #奥書院跡  #伊達政宗

4/18㈯朝、晴れ。本日の仙台城本丸「酉門跡」(とりのもんあと)。本丸の西側には、酉門と二重の脇櫓が建てられていた。門に入る手前の虎口の石垣は野面積で、北側には他の石より少し大きい程度の「鏡石」(かがみいし)が据えられている。福島県の猪苗代...
18/04/2026

4/18㈯朝、晴れ。本日の仙台城本丸「酉門跡」(とりのもんあと)。本丸の西側には、酉門と二重の脇櫓が建てられていた。門に入る手前の虎口の石垣は野面積で、北側には他の石より少し大きい程度の「鏡石」(かがみいし)が据えられている。
福島県の猪苗代城跡(亀ヶ城跡)大手口の石垣は、蒲生氏郷の築いた石垣と考えられているが、仙台城酉門の虎口石垣と酷似している。仙台城の普請奉行の1人 金森内膳は、もと蒲生氏郷の家臣であり、酉門の石垣には蒲生氏の石垣構築技術が使用されたと考える。 

#仙台城本丸 #酉門跡 #鏡石 #猪苗代城跡 #金森内膳

4/16㈭朝、雨。本日の仙台城本丸「巽櫓跡」(たつみやぐらあと)。本丸の南東の崖際には三重の巽櫓が建てられていた。しかし、正保三年(1646)4月26日の地震で倒壊し以降再建されなかった。伊達政宗公霊廟「瑞鳳殿」内の尊像。その視線は、仙台城...
16/04/2026

4/16㈭朝、雨。本日の仙台城本丸「巽櫓跡」(たつみやぐらあと)。本丸の南東の崖際には三重の巽櫓が建てられていた。しかし、正保三年(1646)4月26日の地震で倒壊し以降再建されなかった。
伊達政宗公霊廟「瑞鳳殿」内の尊像。その視線は、仙台城の方(巽櫓辺り)を見守りながら西方を見ていた。これは江戸での死の瞬間の「西方に合掌」と同じ思想が元にある。政宗が、仙台城の行く末を見守りつつ、西方の浄土世界へ旅立つとの思想である。

#仙台城本丸  #巽櫓  #伊達政宗公  #瑞鳳殿  #西方浄土

住所

青葉区川内 1
Sendai, Miyagi
9800862

電話番号

+81222220218

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