さんべ縄文の森ミュージアム・三瓶小豆原埋没林

さんべ縄文の森ミュージアム・三瓶小豆原埋没林 地底に縄文時代の巨木そびえる奇跡の森、三瓶小豆原埋没林

【石見の火山が伝える悠久の歴史⑱】●大江高山火山 ~春の特別な光景~ 三瓶山の山頂から西を望むと、いくつもの峰が集まる山群が目をひきます。同じような景色は他にあまりないと思われる独特の光景。大江高山(808m)を最高峰とする山群です。これは...
08/06/2026

【石見の火山が伝える悠久の歴史⑱】
●大江高山火山 ~春の特別な光景~

 三瓶山の山頂から西を望むと、いくつもの峰が集まる山群が目をひきます。同じような景色は他にあまりないと思われる独特の光景。大江高山(808m)を最高峰とする山群です。これは一連の火山活動でできたもので、大江高山火山と総称されます。石見銀山の銀鉱床を抱く仙ノ山もこの火山の一峰。大江高山火山は石見銀山を生んだ火山です。

 最高峰の大江高山は大田市では三瓶山に次ぐ高さ。市街地付近でも少し見晴らしが良い場所からはその峰の姿を望むことができます。

 この山は、春に特別な光景を見せてくれます。

 平地で桜のつぼみが膨らむ頃からが本番。山頂を目指して登山道を登り視界が開ける尾根筋に出たあたりから、足下に白い花がうつむいて咲いているのを見ることができるでしょう。イズモコバイモという分布が限られた植物です。白い花びらと赤っぽいおしべが特徴のミスミソウも見つかるかも知れません。

 そして、桜が咲く頃の穏やかな晴れの日に、登山道のそばを飛ぶチョウの姿に気づくでしょう。アゲハチョウよりも小ぶりでモンシロチョウよりは大きいチョウ。せわしなく羽ばたくので、飛んでいる時に見分けることは難しいですが、しばらく待つと花や葉にとまって休む姿を見ることができるはず。翅を広げた時に黄色と黒の縦筋模様と翅の後ろにある赤い斑が見えたらきっとギフチョウです。

 全国的に希少なチョウのひとつで生息地がある程度限られ、飛び交う時期も春先の1ヶ月ほどですから、目にする機会は限られます。でも、ここ大江高山では、何匹ものギフチョウが互いに近づいたり離れたりしながら人が歩く道のすぐそばを飛び交います。タイミングが良ければイズモコバイモとミスミソウの花も同時に見ることができ、それはこの山だけの特別な光景です。大江高山の植生と急峻な地形がもたらしてくれた光景と言えるでしょう。

写真1 男三瓶山から見た大江高山火山の山群
写真2 大江高山のギフチョウ
写真3 大江高山のイズモコバイモ

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日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史~“縄文の森”“銀の山”と出逢える旅へ~」は、縄文の森(三瓶小豆原埋没林)と石見銀山を核に、大田市の歴史文化をつなぐストーリーです。

【石見の火山が伝える悠久の歴史⑰】●大森の町並み ~「失敗」の遺構~ 大森の町並みを銀山川に沿って上流側に進み、清水谷製錬所跡の表示に従って細い道を少し登ると、山の斜面に何段にも組まれた巨大な石垣が現れます。それまでの歴史的な町なみとは異質...
05/06/2026

【石見の火山が伝える悠久の歴史⑰】
●大森の町並み ~「失敗」の遺構~

 大森の町並みを銀山川に沿って上流側に進み、清水谷製錬所跡の表示に従って細い道を少し登ると、山の斜面に何段にも組まれた巨大な石垣が現れます。それまでの歴史的な町なみとは異質の光景でありながら、すでに130年を越える歴史を持つ石垣は緑の山に溶け込みつつあるようにも見えます。

 この清水谷製錬所は銀山としての再開発を目的に作られたものでした。若い技術者が新しい製錬技術による製錬所として設計し、山の反対側から貫通させた坑道で運んだ鉱石を製錬する構造です。

 巨額を投じて建設された製錬所ですが、わずか1年余りの操業で廃止されます。詳しい理由はわかりませんが、その後、銀中心での開発が試みられなかったことから、想定した品質の銀鉱石が得られず銀の生産が不調だったのでしょう。これは失敗の遺構と呼んで差し支えないと思われます。

 当時、石見銀山(大森鉱山)を開発していた企業は、銀生産に見切りを付けて、同時期に建設した永久製錬所での銅生産を中心に操業しました。その製錬所は大森町から山をひとつ隔てた北側の仁摩町大国地区にあって、地下の深い坑道から掘り出した鉱石を用いたことから、かつて銀生産の中心だった仙ノ山の地表部分での開発はストップしました。

もし・・・

 清水谷製錬所での銀生産が成功して10年、20年と開発が続けられていたら、仙ノ山の景観はかなり違うものになっていたかも知れません。古い時代の痕跡は壊れ、坑道から排出された石が山積みになった可能性があります。町並みも古い家屋が壊されて新しく社宅が建てられることも考えられます。明治時代の銀山としての再開発が失敗したことは、遺跡としての景観という面から見ると幸運だった、世界遺産としての未来さえ左右しかねない出来事だったと思われます。

 清水谷製錬所は脇道へそれて少し登った場所にあり、観光客の多くはその先にある龍現寺間歩を目指して素通りします。石見銀山が輝いた時代の遺構ではないために、紹介される機会も多くはありません。それでも、訪れた人にはこの製錬所の景観に感激する人が少なくありません。

 静けさに包まれた巨大な石垣。この製錬所で銀山としての再生を夢見た人々、そして諦めた歴史。再開発は失敗に終わったものの、そのことで古い時代の遺跡が残り、今がある。清水谷製錬所跡は一見の価値がある遺構です。

(写真)
1枚目 清水谷製錬所跡
2枚目 清水谷製錬所跡
3枚目 清水谷製錬所跡の奥にある蔵之丞選鉱場跡

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日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史~“縄文の森”“銀の山”と出逢える旅へ~」は、縄文の森(三瓶小豆原埋没林)と石見銀山を核に、大田市の歴史文化をつなぐストーリーです。

石見の火山が伝える悠久の歴史⑯】●大森の町並み ~赤瓦連なる~ 伝統的な家屋に使われる赤瓦。山陰地方を中心に中国地方ではごく普通の光景ですが、遠方から訪れた観光客には新鮮に映るようです。 この赤瓦は石見地方の特産品で「石州瓦」と呼ばれます。...
29/05/2026

石見の火山が伝える悠久の歴史⑯】
●大森の町並み ~赤瓦連なる~

 伝統的な家屋に使われる赤瓦。山陰地方を中心に中国地方ではごく普通の光景ですが、遠方から訪れた観光客には新鮮に映るようです。

 この赤瓦は石見地方の特産品で「石州瓦」と呼ばれます。この地域の地層から産する陶土を使った瓦で、来待釉という松江市で産する石材「来待石」の粉を使った釉薬が赤茶色の発色を示すことが赤瓦のルーツです。

 石見銀山の町、大森町に連なる家屋の屋根は大半が赤瓦で、緑の木々に映えるその色が町並みを印象づけています。そして、この町並みは石州瓦の歴史に転機をもたらした存在です。

 江戸時代の中頃まで、瓦を使う建物は役所や社寺、武家屋敷などに限られました。瓦は贅沢品で庶民が暮らす家に使うことは許されていませんでした。庶民の家は木の皮を使う檜皮葺き、杉皮葺き、藁や茅を使う藁葺き、茅葺きが中心です。木の皮や藁、茅を使った屋根は、火の粉が落ちると燃え上がりやすく、家屋が密集していた大森町は幾度もの大火事に見舞われました。とりわけ1800年の寛政の大火では町並みの4分の3が焼け落ちたといわれます。

 大火は江戸をはじめ、当時の都市に共通した問題で、幕府は火災の拡大防止を目的に庶民に家を瓦葺きにすることを認め、さらにそれを奨励しました。これにより瓦の需要は一気に増大したのです。大森町で庶民が瓦を使うことが許されたことをきっかけに、周辺の町場にも瓦屋根が普及しはじめ、やがて石州瓦の生産が盛んになったのでした。

 では、大森町に瓦屋根が増え始めた頃、瓦の色は何色だったのでしょうか。寛政の大火と来待釉が使われはじめた時期は近く、それまでの瓦は釉薬を使わない黒っぽい色でした。高温の煙の中でいぶすことで炭素が付着して黒くなることからいぶし瓦と呼ばれるものです。つまり、1800年以前の瓦屋根には黒っぽい瓦が使われており、赤瓦が多く使われるようになったのは江戸時代後半よりも後のことです。登り窯で焼いていた時代の瓦は微妙に色が違っており、ひとつの屋根の色が一様ではありませんでした。そこにいぶし瓦の黒い屋根も混じる景観が、江戸時代末頃から近代にかけて成立したのでした。

(写真)
・赤瓦の屋根が並ぶ大森の町並み
・いぶし瓦の大森代官所跡の長屋門
・水上町の登り窯跡

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日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史~“縄文の森”“銀の山”と出逢える旅へ~」は、縄文の森(三瓶小豆原埋没林)と石見銀山を核に、大田市の歴史文化をつなぐストーリーです。

【石見の火山が伝える悠久の歴史⑮】●大森の町並み ~継承と変化~ 石見銀山の鉱山町として栄えた大森町は、今も活気にあふれる町として注目されています。 明治時代からは大森鉱山の名で開発された石見銀山が歴史の幕を下ろしたのは1923年、大正12...
27/05/2026

【石見の火山が伝える悠久の歴史⑮】
●大森の町並み ~継承と変化~

 石見銀山の鉱山町として栄えた大森町は、今も活気にあふれる町として注目されています。

 明治時代からは大森鉱山の名で開発された石見銀山が歴史の幕を下ろしたのは1923年、大正12年です。太平洋戦争中に再開発が試みられたものの短期間で終わっており、この年が事実上の閉山。そこから100年以上が経過しています。鉱山町は閉山とともに一気に衰退することが多く、100年を超えた今も活気がある大森町は奇跡の町と言えるかも知れません。

 大森町は普通の鉱山町ではありませんでした。一続きの町ですが成り立ちが少し違う「銀山」と「大森」の2地区に分かれています。「銀山」は鉱山範囲内で、江戸時代には番所を通らないと入れない地区でした。純粋な鉱山町です。これに対して「大森」は石見銀山の運営に関わる役人(武士)と商人たちの地区でした。幕府の出先機関である大森代官所が置かれ、鉱山だけでなく大田市を中心に石見地方東部と飛び地として津和野、益田、邑南の一部の運営を行う政治の中心であり、商取引が盛んな経済の中心でもありました。

 鉱山だけで成り立つ町は、鉱山がなくなると存在理由が失われるために衰退してしまいます。大森町も例外ではなかったと思われますが、鉱山町にとどまらず地域社会の中心地だったことが町が残った一因になったのでしょう。

 そして見逃すことができないのが住民をはじめとする市民の取り組みです。旧制大田中学校(現大田高校)の教師だった山根俊久氏は銀山の歴史に注目して、自ら山を歩き資料を集めて「石見銀山に関する研究」を発行しました。閉山からわずか9年後の1932年のことです。

 山根氏の研究により住民らは石見銀山の価値を再確認でき、その本は今に受け継がれる石見銀山研究のバイブル的な存在です。「石見銀山に関する研究」を開くと、山根氏がすでに石見銀山の全体像を把握した上で掘り下げを行っていたことに驚嘆せざるを得ません。

 その後も大森町文化財保存会の設立をはじめ、歴史の継承と遺跡の保全は住民主導で進みました。行政が後を追うように、史跡指定、重要伝統的建造物群保存地区への指定を行い、その延長として世界遺産登録がありました。

 歴史を尊重しつつ、住民の暮らしがある町。観光向けに開発された町ではなく一般的な観光地とは一線を画しています。近年は、この町のあり方に魅力を感じて訪れる人、移り住む人が少なくありません。変わらない部分を大切にしながら、新たなものを受け入れて変化を続けている町と言えるでしょう。

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日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史~“縄文の森”“銀の山”と出逢える旅へ~」は、縄文の森(三瓶小豆原埋没林)と石見銀山を核に、大田市の歴史文化をつなぐストーリーです。

【石見の火山が伝える悠久の歴史⑭】●福石 ~日本に福をもたらした鉱石~ 石見銀山は16世紀の一時期、世界屈指の生産量を誇りました。国内で銀の量産に成功した最初の鉱山で、生野銀山(兵庫県)、佐渡金銀山(新潟県)の開発を先導する役割を果たしまし...
23/05/2026

【石見の火山が伝える悠久の歴史⑭】
●福石 ~日本に福をもたらした鉱石~

 石見銀山は16世紀の一時期、世界屈指の生産量を誇りました。国内で銀の量産に成功した最初の鉱山で、生野銀山(兵庫県)、佐渡金銀山(新潟県)の開発を先導する役割を果たしました。その結果、日本は「シルバーラッシュ」と呼ばれるほどの銀を手に入れるに至り、豊かな国への歩みをはじめたのです。

 南蛮貿易と呼ばれるポルトガル船やオランダ船がもたらすさまざまな物資は国内に広く流通しました。ヨーロッパ人が日本に物資を運んだのは、それと引き換えに銀を入手することが目的です。日本での銀の価値は中国に比べて低く、中国で仕入れたものを日本で売ることで大きな利益を得られたのでした。コロッケ、ボタン、パンなど日常的に使われる言葉にポルトガル語を語源にするものが多く、それは石見の銀からはじまった交易によって多くのものが日本に伝えられたためです。

 石見銀山をきっかけにはじまったシルバーラッシュは日本に大きな福をもたらしました。その石見の銀を生み出した鉱石は、「福石」の名で呼ばれていました。

 福石は特殊な鉱石です。見た目はどこにでもありそうなざらざらした石で、見た目で銀を含んでいると気がつくことは決してないでしょう。この石は火山の噴火で堆積した土砂の地層に銀が溶け込んだ温泉水が染み込んでできたものです。目に見えないくらい小さな銀鉱物が石の中にちりばめられていて、見た目はどうということがない石です。このような銀鉱石は国内の鉱山では他に見あたりません。

 普通の石に見えて銀を含む福石。この石は16世紀の技術で掘り出して、銀を取り出すことに適した鉱石でした。石見が国内で最初に銀の量産に成功したのはこの石の性質と、中国朝鮮とのパイプを持っていた山口の大内氏、博多の神屋家が関わったことが大きな理由でした。

 仙ノ山では福石を掘ったとみられる大規模な採掘の痕が新たに見つかりました。延長1kmを超える大露頭掘りです。この採掘跡については、7月11日(土)に石見銀山世界遺産センターを会場に開催する「月イチガク」で紹介します。

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日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史~“縄文の森”“銀の山”と出逢える旅へ~」は、縄文の森(三瓶小豆原埋没林)と石見銀山を核に、大田市の歴史文化をつなぐストーリーです。

【石見の火山が伝える悠久の歴史⑬】●姫逃池 ~火山と人が作り出した景観~ 三瓶山が新緑に覆われたと思うと間もなく夏を思わせる暑さ、そして梅雨のような雨と季節が足早に進んでいる印象です。姫逃池のカキツバタも例年より1週間程度早く花の見頃を迎え...
21/05/2026

【石見の火山が伝える悠久の歴史⑬】
●姫逃池 ~火山と人が作り出した景観~

 三瓶山が新緑に覆われたと思うと間もなく夏を思わせる暑さ、そして梅雨のような雨と季節が足早に進んでいる印象です。姫逃池のカキツバタも例年より1週間程度早く花の見頃を迎えました。

 この姫逃池は火山としての三瓶山が作り出した池です。浮布の池は噴火による土砂が谷をせき止めてできたものですが、姫逃池はなだらかな北の原の一角にあり、草原と男三瓶山の山すその境にあたる位置です。

 池の凹地は火山噴火時に発生した山体の崩壊でできたものです。噴火当時の山が崩れ落ち、北の原一帯には凹凸がある地形が生まれました。同じような草原が広がる西の原は大雨で谷から流れ出た土砂が少しずつ重なって緩やかなスロープを描き、似ていながらも異なる地形です。

 25年ほど前の数年の間、池の水がほとんど無くなったことが何度かありました。この池の水は山の斜面の浅い地下を流れた地下水が山すそで滞留したものと考えられ、水の供給が減ったために池が水不足を起こしたものと推定されました。

 浅い地下水が減った原因は、山の斜面に樹木が育ったことによる可能性が考えられました。木が茂ると、木の葉が雨を受け止め、地面に染み込んだ水の一部を木が吸い上げて空中に放出します。森が地下水を育むと言われることと矛盾するようですが、森林は地下深くに水がゆっくり染み込むことを助ける一方で、地表にさっと染み込む水の量は減ってしまうようです。

 その時、池の水が枯れたのは自然の遷移の一部として何もせずに見守るか、姫逃池の景観を保つために手を加えるか、市民から意見募集が行われました。結果は拮抗していましたが、わずかな差で手を加えて景観を保つという意見が多く、池の底に粘土を貼ることで水位を保つ工事が行われました。

 工事は成功して、その後は水が枯れたことはありません。水位は昔に比べると下がり、かつての浮島は動かない島になってしまいましたが、カキツバタが咲く景観は残りました。

 火山が作った地形で人が牛を飼って草原化したことによって池になり、水を飲みにきた牛が岸辺を歩き回ったことで浮島ができた姫逃池。カキツバタが咲く景観は、火山と人の営みの合作と言えるでしょう。

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日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史~“縄文の森”“銀の山”と出逢える旅へ~」は、縄文の森(三瓶小豆原埋没林)と石見銀山を核に、大田市の歴史文化をつなぐストーリーです。

最近気温が高くなって暑い日も増えてきましたよね...今週の土日も天気予報は晴れ☀️三瓶にドライブに来られる方も多いのではないでしょうか?埋没林公園では大田市のお店で作られている地元サイダーを販売しています!お菓子もありますのでお土産やドライ...
15/05/2026

最近気温が高くなって暑い日も増えてきましたよね...
今週の土日も天気予報は晴れ☀️
三瓶にドライブに来られる方も多いのではないでしょうか?

埋没林公園では大田市のお店で作られている地元サイダーを販売しています!
お菓子もありますのでお土産やドライブのお供に、ぜひチェックしてみてくださいね😄

・サイダー ウメ、ユズ 各230円

【石見の火山が伝える悠久の歴史⑫】●石見銀山仙ノ山の銀鉱床 日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」のストーリーをつなぐ3つの時代の火山は、三瓶火山と大江高山火山、そしてグリーンタフの時代の火山です。 大江高山火山の名になじみがある人は少な...
13/05/2026

【石見の火山が伝える悠久の歴史⑫】
●石見銀山仙ノ山の銀鉱床
 日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」のストーリーをつなぐ3つの時代の火山は、三瓶火山と大江高山火山、そしてグリーンタフの時代の火山です。

 大江高山火山の名になじみがある人は少ないかも知れません。でも、この火山は日本の歴史を動かす大仕事をやってのけました。それが石見銀山の銀鉱床の形成です。

 石見銀山は大江高山火山の一峰である仙ノ山が中心です。この山はおよそ150万年前の火山活動で形成され、続いて生じた温泉の活動で銀鉱床が形成されました。地下にあるマグマの近くで高温になった水が銀をはじめさまざまな成分を溶かし、それが地表付近まで上昇する段階で銀を含む鉱物が沈殿して鉱石が生まれたのです。

 金、銀、銅などの鉱山の多くは、高温の温泉水(熱水)の作用によって鉱床ができたもので、仙ノ山もそのひとつです。

 ところが、仙ノ山には特殊な条件がありました。

 仙ノ山の大部分は、爆発的な噴火で堆積した火山礫と火山灰でできています。火山砕屑丘という地形で、この種の地形として仙ノ山は国内最大級。この時点で特殊です。この種の山で温泉活動があって鉱床ができた例は、少なくとも国内ではほかにありません。

 礫と火山灰が降り積もってできた地盤そのものが鉱石に変化したことで、岩石としては軟質で掘りやすく、鉱石が立体的に分布することから効率よく掘ることができ、さらに昔の技術で高品質の銀をとりだすことができる都合が良い鉱物の組み合わせになりました。

この鉱石こそ石見銀山が国内でいち早く銀の量産に成功する原動力です。当時、この石は「福石」と呼ばれました。石見銀山だけの銀鉱石で、ここだけの呼び名です。福を呼ぶ石。おそらく、その思いを込めた名前だったのでしょう。

写真1 石見銀山の中核とも言える本谷の本間歩付近。本間歩は右側で左の大きな穴は明治時代の採掘跡

写真2 九州大学所蔵の福石。鉱山操業当時に採取された貴重な資料

写真3 南側から見た仙ノ山の全景

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【石見の火山が伝える悠久の歴史⑪】●物部神社と三瓶山の昔話 石見一宮の物部神社には、三瓶山にまつわる面白い話が伝わります。 昔、三瓶山が大きく崩れて瓶が3つ飛び出した、という話です。飛び出した瓶は、ひとつは浮布の池に、もうひとつは三瓶大明神...
11/05/2026

【石見の火山が伝える悠久の歴史⑪】
●物部神社と三瓶山の昔話

 石見一宮の物部神社には、三瓶山にまつわる面白い話が伝わります。

 昔、三瓶山が大きく崩れて瓶が3つ飛び出した、という話です。飛び出した瓶は、ひとつは浮布の池に、もうひとつは三瓶大明神に、残るひとつが物部神社に納まりました。今は三瓶大明神という神社はありませんが、三瓶町池田の高田八幡宮に合祀されているそうです。

 3つの瓶は三瓶山(さんべさん、みかめやま)の山名につながります。この話が名前の由来とされることもありますが、なんとなく、三瓶山という名前が先にあって、そこから生まれた話のような気がします。

 山が崩れるという話は、浮布の池の形成伝承と共通し、三瓶山が大きく崩れる出来事があり、それがモチーフになっているのでしょう。火山は崩れやすい地形であることを考えると、伝承や昔話で崩れたという話がでてくることもうなずけます。

 さて、山から飛び出したという3つの瓶の現物は、実際にあるのでしょうか。

物部神社には大瓶がまつられています。境内にある一瓶社(いっぺいしゃ)という側社に納められているのです。三瓶山から飛び出した瓶というわけではなく、この瓶から物語が生まれたのかも知れません。

この瓶と一瓶社には重要な役割があり、7月の御田植祭と11月の新嘗祭はこの神社からはじまります。御田植祭では三瓶山から田の神「さんばい」を招き、三瓶山と物部神社をつなぐ存在でもあります。新嘗祭ではその年にとれた米を使って酒造りが行われ、その時に大瓶が使われます。まつられているだけでなく、酒を仕込む実用の瓶なのです。

大瓶で作られた酒は、正月の御神酒として参拝者に振る舞われます。甘酒のような甘さがある濁り酒、いわゆるどぶろくです。

一年の豊作を祈り、収穫に感謝する祭りで大瓶と一瓶社が使われ、それは農耕の神が宿ると考えられた三瓶山につながります。このあたりのことが、3つの瓶が飛び出したという物語の背景になったのかも知れませんね。

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【石見の火山が伝える悠久の歴史⑩】●小笠原流田植え囃子 石見東部には戦国時代に川本を拠点にした小笠原氏のもとで発展した田植え囃子が伝わります。「小笠原流田植え囃子」と呼ばれ、三瓶地区では三瓶町池田と三瓶町小屋原で継承されています。 池田地区...
05/05/2026

【石見の火山が伝える悠久の歴史⑩】
●小笠原流田植え囃子

 石見東部には戦国時代に川本を拠点にした小笠原氏のもとで発展した田植え囃子が伝わります。「小笠原流田植え囃子」と呼ばれ、三瓶地区では三瓶町池田と三瓶町小屋原で継承されています。

 池田地区の田植え囃子は、浮布の池に祭られている邇弊姫神社の例祭で奉納されます。田植え囃子の一団は池の北岸から舟に乗り、岸近くの水中に立つ鳥居をくぐって南岸の神社に向かいます。このルートが邇弊姫神社の「表参道」で、社殿は池を向いて建っているのです。神社についた一団は境内で田植え囃子を奉納して、一年の豊作を祈願します。

 小屋原地区の田植え囃子は石見一宮の物部神社に奉納されます。7月に行われる御田植祭の時、神社を出発して川合町の町を一巡りしてから、境内で奉納するのです。いずれも、三瓶山への祈りにつながっています。

 2023年に閉校になった池田小学校では、全児童が田植え囃子に取り組んでいました。幾度か上演を見た中で特に印象に残っているのは学校間交流事業の場面でした。

出雲市の大社小学校を訪問した池田小の5,6年生には緊張の色がありました。相手方は数百人。それに対してわすか10人ほどですから無理もありません。見事なマーチングバンドで出迎えられると、その演奏に気おされたようにも見えました。

ところが、池田小の児童らが田植え囃子を披露すると、その演舞が会場を圧倒しました。大社小の児童たちのまなざしが明らかに変わり、堂々と演じ終えた時、うねるような拍手がわき上がったのです。児童たちの日頃の取り組みと、受け継がれてきた伝統文化の力が輝きを放った瞬間でした。

(写真は2025年5月と2016年5月に池田地区で行われた花田植えと物部神社の御田植祭の一場面)

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住所

三瓶町多根ロ58/2
Oda-shi, Shimane
694-0003

営業時間

月曜日 09:00 - 17:00
水曜日 09:00 - 17:00
木曜日 09:00 - 17:00
金曜日 09:00 - 17:00
土曜日 09:00 - 17:00
日曜日 09:00 - 17:00

電話番号

0854-86-9500

アラート

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