09/08/2026
【石見の火山が伝える悠久の歴史㉚】
●鬼村の鬼岩 ~全国唯一「鬼」地名の里~
明治時代の地図を見るとその場所に一文字「鬼」と記されています。
大屋町鬼村は旧村名が鬼村で、全国に鬼の文字が使われる地名はいくつもあれども一文字でそのまま村名になっていたのはここだけと聞きます。
鬼地名は近くに鉱山がある場所に多いと言われ、ここにもかつて石こうを出した鬼村鉱山があり、隣の五十猛町には鉛を出したなまり山をはじめ、金銀や銅鉛亜鉛と石こうの五十猛鉱山、そして石見銀山もそれほど遠くはなく、一帯が鉱山地帯であることは確かです。鉱山と鬼地名の関係は、鉱山を隠すために鬼がいることにしたとか特殊な技術を持つ鉱山師集団を鬼と呼んだことに由来すると言われています。
鬼村にはもうひとつ地名の起源ではないかと考えられている鬼岩があります。傘のように上側が広く、側面に鬼がつかんだ指の跡とされる穴が開いた奇岩です。その異形の巨岩が小さな川が緩やかに流れる谷筋に突然現れると実に印象的な光景です。
鬼の指跡とされる穴には地蔵が収められ、奥にある穴には馬頭観音がまつられています。大正時代にすぐ近くの鬼村鉱山で石こうが採られるようになり、はじめの頃は馬に積んで鬼岩の前の道を港まで運んだということで、鉱山の繁栄と安全を願って観音像をまつったそうです。
この岩はおよそ1500万年の海底火山の噴出物が堆積してできた凝灰岩という岩石です。岩の中には火山と海水に由来する塩類が多く含まれています。指跡を残した鬼の正体はこの塩類で、染み込んだ雨水に溶け込み、乾燥して水が再び表面まで移動した時に塩類風化と呼ばれる破壊現象を起こします。わずかずつですが凝灰岩を壊していき、部分的に破壊が進行した部分が穴というわけです。
以前の鬼岩は鬼村の地元以外ではあまり知られていない存在でした。しかし、長年にわたって住民が環境整備を進めて、今では人が訪れる場所になっています。特に秋には小川に沿って彼岸花が咲き誇ると、ひっきりなしに見物人が訪れる花の名所になっています。
写真1:彼岸花の向こうに鬼岩が見える
写真2:正面からみた鬼岩
写真3:地元住民の思いが込められた鬼の像
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日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史~“縄文の森”“銀の山”と出逢える旅へ~」は、縄文の森(三瓶小豆原埋没林)と石見銀山を核に、大田市の歴史文化をつなぐストーリーです。