05/05/2026
新茶の季節です。
明治時代、製茶が中野区の地場産業の一つだったことをご存じでしょうか?
お茶は、栽培に手間がかからず、製茶に要する日数は30日程度、輸出品としても高価であったため、明治時代はじめに奨励されていました。
お茶の栽培は東京北部から埼玉県南西部にまで広がり、中野でも盛んにおこなわれました。
特に江古田地域では、明治7年(1874)頃から茶畑をつくり、明治10年には宇治の茶師を招いて製造法を学び、村内の有力農民のほとんどが製茶業を兼業するほどになりました。
しかし、大正から昭和にかけて宅地化・都市化が進むとともに、製茶業は姿を消していきます。
現在でも製茶業が残っているのは埼玉県で、狭山茶として有名ですね。
当館常設展示室の古民家展示では、製茶にまつわる資料をみることができます。
1枚目の写真、右手に写っているのは「焙炉(ほいろ)」(複製)。蒸した茶葉を揉みながら乾燥させるのに使いました。表面には和紙が貼られています。
当時の茶摘みや製茶の様子も写真で紹介しています。
左は江古田村の須藤家が経営していた製茶園「気生園」のはんてん。
2枚目の写真、古民家の窓の外に広がるのは茶畑。当館周辺一帯が茶畑だったころがあったのですね。