10/05/2026
今日(5月10日)は、樋口琴(本名:樋口鈴)さんをモチーフに、知多娘地域活性プロジェクトさんと廻船と音吉記念館が、共同製作した
【小野浦お琴】ちゃんのキャラクターCD(初シングル)が販売されました。
その単独ライブを行った場所が、東海市勤労センター。
そして、その駐車場の東隣の区画が、公家緑道であり、樋口家にとっては所縁のある地【横須賀代官所】(元 横須賀御殿)があった場所になります。
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1854年9月7日、英国東インド会社の船の通訳官として山本音吉が長崎に到着。奉行所の人に、【尾張国小野浦村、樋口重右衛門の船宝順丸の乗組員 山本音吉です】と名乗る。
漂流のおり、英国に助けられ、通訳官として帰ってきたと伝えると、帰国を促されるも、帰国できぬその思いを伝える。
その真偽を確かめるべく奉行所は、飛脚により尾張藩へ書簡を送る。
当時の知多半島西岸の行政を管理していた横須賀代官所(東海市横須賀)より、10月の初めに小野浦村へ使者が数名やってきた。
対応したのは、樋口紋(重右衛門の妻)と琴(36歳)、山本音吉の母の3人。
使者と問答を重ね、帰国できぬ理由を聞く、【清国に家族がおり子供もいる。両親の弔いもできなかった親不孝者だから合わせる顔がない。】
音吉が故郷を離れ22年、病に伏していた父親に、その看病をし女手一つで生きていく苦労から、2人とも既に亡くなっていると勘違いしていたのである。
それを聞いた父親は、亡くなられた樋口家の親方様(樋口源六)に合わせる顔がない。お嬢様(琴)に申し訳ないことをした。と泣き悔やみ続け、同年11月に亡くなる。
いずれ嫁ぐはずだった家だからと、山本家の両親の世話もしていた琴。
宝順丸が漂流後、朝昼晩と祈りを捧げ、周りから白い目で見られても無事を祈り続けた琴。
その心境は、無事に生きていてくれた喜びより悲しみが優っていたが、山本家両親を思い彼らの前では気丈に振る舞っていた。
音吉が生きていたことを知った小野浦村の人々は樋口家のことを、親方様が死んでから神様に見放された不吉な家と噂していたが、神様に守られていためでたい家として、今までの非礼をわびる声すら上がった。
今まで縁談さえできずにいた樋口家の跡取り息子(琴の弟、31歳)も数年後やっと婚姻を結べ、もう1人の弟の説得もあり、琴も翌年、結婚した。
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この代官所の来訪をきっかけに、昔の日記を書きしたため、樋口家の跡取り息子の子 樋口源太郎、孫に当たる樋口冨代、千代へ口伝を残していき、
何人かの作家により漂流物語は書かれるが、樋口家への取材はなく史実に則るものが主流の中、
樋口家に直接5回 取材に来てくれた三浦綾子さんにより、海嶺という作品となり日本全国に広がる。
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この話を残そうとするきっかけとなったのが、横須賀代官所と小野浦村のやりとり。
次世代に残すためにと、お琴ちゃんをモチーフにした【小野浦お琴】が一昨年、誕生。
彼女のCD販売日となる今日(5月10日)、この場所で、単独ライブを設営した運営さんの【歴史と今が交差する。】
といったキャッチコピーがまさに体現されていることがわかりますね🥰
お琴ちゃんの想いなどが歌詞にも溢れています。
気になった方は、知多娘のH Pをご覧ください。通販でも購入できるようです。
https://chita-musume.com/event/260510/
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