愛媛ぶらぶらある記

愛媛ぶらぶらある記 「地域のことを知る手がかりは身近なところにある!」愛媛県内各地を実際に訪れ、地域の歴史遺産等を調査・研究しています。

【備前焼のふるさとを行く!〜小西陶古〜】〔窯元の歴史〕 明治初期に細工の名工と言われた永見陶楽の孫である小西陶古(小西陶一郎)は、1926年に試行錯誤の末、木炭を使用した「桟切(さんぎり)」の製法を確立し、同年に窯元「小西陶古」を設立しまし...
21/07/2026

【備前焼のふるさとを行く!〜小西陶古〜】

〔窯元の歴史〕
 明治初期に細工の名工と言われた永見陶楽の孫である小西陶古(小西陶一郎)は、1926年に試行錯誤の末、木炭を使用した「桟切(さんぎり)」の製法を確立し、同年に窯元「小西陶古」を設立しました。
 戦中・戦後の厳しい時代を乗り越え、次第に各地の陶器店や百貨店に商品が並び、近年では海外からも多くお問い合わせをいただいております。
 店舗と工房は備前焼に窯元が古くから集まる旧山陽道沿いに位置し、1978年に築いた全長十数メートルの登り窯は今も現役です。創業以来、誇りとしてきた「桟切」は多くの人に愛され続けています。
(引用:備前焼窯元 小西陶古 パンフレット)

〔お話を伺って〕
 小西陶古が制作した二宮金次郎像は愛媛県内に6体あり、その全てに「備前 陶古造」という陶印が刻まれています。ご家族の方にこのことを伝えると、「それは初代小西陶古が制作した作品です!その証拠は刻まれている陶古造の陶印で、2代目以降は陶古とのみ記しています。」と話してくださいました。初代小西陶古が制作した二宮金次郎像がある学校は次の通りです。

 ⑴ 四国中央市立関川小学校〔昭和13年1月寄贈〕
 ⑵ 四国中央市立長津小学校〔寄贈年不明〕
 ⑶ 今治市立鴨部小学校  〔寄贈年不明〕
 ⑷ 今治市立朝倉小学校  〔寄贈年不明〕
 ⑸ 中島町立城山小学校  〔昭和15年寄贈〕
 ⑹ 八幡浜市立真穴小学校 〔昭和13年4月寄贈〕

 初代小西陶古は明治32(1899)年に生まれ、昭和29(1954)年に亡くなっています。6体のうち3体は寄贈年が明確であり、初代小西陶古が活躍した時代に制作されたものです。他の3体も同じ時期に製作されたものかもしれませんね。
 陶土にこだわり、高品質を維持し続けている小西陶古の備前焼。松山市のいよてつ高島屋にも作品が展示されているそうです。今度見に行ってみよう。

 撮影させていただいた店舗の写真と愛媛県内にある二宮金次郎像の写真を投稿します。どうぞご覧ください。

【備前焼のふるさとを行く!〜2体の二宮金次郎像〜】 伊部地区には2体の二宮金次郎像がありました。1体は伊部小学校の中庭に、もう1体は天津神社の境内に。これらの像について分かったことをまとめていきます。1 伊部小学校の二宮金次郎像〔陶製〕 こ...
20/07/2026

【備前焼のふるさとを行く!〜2体の二宮金次郎像〜】

 伊部地区には2体の二宮金次郎像がありました。1体は伊部小学校の中庭に、もう1体は天津神社の境内に。これらの像について分かったことをまとめていきます。

1 伊部小学校の二宮金次郎像〔陶製〕

 これは昭和8(1933)年2月11日(天長節:現在の建国記念日)に寄贈されたもので、木村桃蹊堂が制作した備前焼の像です。台座裏に「家保造」との文字が刻まれていることから、「家保」という人物が制作したことが分かります。

 なお、岡山県で最初に二宮金次郎が設置されたのは浅口郡寄島町の寄島東小学校・寄島西小学校で、昭和4(1929)年5月14日に除幕式が行われたそうです。制作者は大阪市の慶寺円長でブロンズ製、寄贈者は寄島町出身の貿易商・村上常太郎です。以後、岡山県内に設置された二宮金次郎像は銅像でしたが、伊部小学校に設置されてからは安価な備前焼の陶像が岡山県下の小学校に設置されるようになったそうです。

【参考資料】
https://www.fukutake.or.jp/archive/houkoku/2008_103.html

2 天津神社の二宮金次郎像〔陶製〕

 こちらの像も備前焼ですが、何も記されていなかったので寄贈年・制作者等は全く分かりません。地域の方もご存知ありませんでした。それにしても二宮金次郎の表情が面白いですね。

 本稿は以上です。記事をまとめるために参考にさせていただいた資料をリンクさせておきますので、合わせてご一読ください。

【備前焼のふるさとを行く!〜伊部地区と菅原道真〜】 伊部地区の集落は西国街道に沿って形成された街村で、このことは江戸時代に藩の保護を受けた窯元六姓(木村・森・頓宮・寺見・大饗・金重)の店舗が街道沿いに軒を連ねていることから分かります。また、...
20/07/2026

【備前焼のふるさとを行く!〜伊部地区と菅原道真〜】

 伊部地区の集落は西国街道に沿って形成された街村で、このことは江戸時代に藩の保護を受けた窯元六姓(木村・森・頓宮・寺見・大饗・金重)の店舗が街道沿いに軒を連ねていることから分かります。また、備前焼の置物が各地に見られ、神社の狛犬やお地蔵様も備前焼であることが面白い!

 伊部地区を歩いていて興味深かったのは、菅原道真との関係でした。出発前にGoogle Mapを見ていた時、「履掛(くつかけ)天神宮」という神社を見つけました。

「くつかけ?松山市にある履脱(くつぬぎ)天満宮と似ているな?」

 実際に現地を訪れてみると、祭神は菅原道真で、太宰府へ向かう途中ここで休憩し、本殿の裏にある石に履を掛けたという伝承があることが分かりました。その場所にはやや大きな石もありました。また、集落の東端に鎮座する天津神社にも菅原道真が配祀されています(伊部が菅原氏の荘園だったことによる)。
 
 撮影した写真を投稿しますので、ご覧ください。

【二宮金次郎像探索の旅 製作元編スタート!】 現在、JR伊部駅前におります。連休を利用して二宮金次郎像が制作された場所を訪れ、制作の経緯や当時の状況について調査します。 今日は伊部窯元!愛媛県には陶製の二宮金次郎像が77体ありますが、そのう...
19/07/2026

【二宮金次郎像探索の旅 製作元編スタート!】

 現在、JR伊部駅前におります。連休を利用して二宮金次郎像が制作された場所を訪れ、制作の経緯や当時の状況について調査します。
 今日は伊部窯元!愛媛県には陶製の二宮金次郎像が77体ありますが、そのうち41体がここで制作されています。
 調査結果は後ほどご報告します。

【鎮魂の碑、確認完了!】 仕事の帰りに碑がある場所に立ち寄り、撮影してきました。碑文を転記しますね。 鎮 魂海軍飛行兵曹長  神崎十四春 北海道出身 行年二十一歳海軍一等飛行兵曹 澤田  納 大阪府出身 行年十九歳 第二次世界大戦の末期、昭...
29/06/2026

【鎮魂の碑、確認完了!】

 仕事の帰りに碑がある場所に立ち寄り、撮影してきました。碑文を転記しますね。

 鎮 魂

海軍飛行兵曹長  神崎十四春 北海道出身 行年二十一歳
海軍一等飛行兵曹 澤田  納 大阪府出身 行年十九歳

 第二次世界大戦の末期、昭和20年2月8日、両飛行兵は特攻隊員として海軍艦上爆撃機(彗星)に搭乗。三重航空隊から宮崎航空隊へ転戦中、四国西南上空で機体の故障と悪天候のため遂に当上方の山林へ墜落炎上し殉職された。若くして尊い命を捧げ平和の礎となられた両氏を追悼すると共に、恒久の平和を祈念して茲に鎮魂の碑を建立する。

平成8年8月15日 鎮魂の碑建立委員会 会長 柴田 勲 謹書

 碑の裏側には「鎮魂の碑寄付者ご芳名」が記され、右側には松井龍太郎氏による弔文を刻んだ石碑と「御名刺受 御芳名帳」と記されたポストが建てられていました。

 昭和20年2月といえば太平洋戦争末期、本土空襲が激しくなるとともに英米の艦隊が日本へ進軍して来るという危機感が次第に高まっていた頃です。現実にはこの2ヶ月後に沖縄戦が始まります。

 戦争を実体験された方々の多くが鬼籍に入られ、語り部たちが著しく減少している現在、こうした碑が当時の事実を現代を生きる私たちに伝えてくれます。自然災害伝承碑もそうですが、各地にある碑を掘り起こし、投稿という手段で多くの人々に伝え続けたいと決意を新たにしました。県立図書館が再開されたら、この事故のことを記した文献を探し、読んでみたいですね。

【「鎮魂の碑」の場所、発見!】 Google mapのストリートビューを検索し、ようやく碑がある場所を突き止めました!場所は、宇和川橋(赤色の橋)から野村方面へ進み、「栗木→」の案内板がある所から上がってすぐの所です。この場所は現在通行止め...
28/06/2026

【「鎮魂の碑」の場所、発見!】

 Google mapのストリートビューを検索し、ようやく碑がある場所を突き止めました!場所は、宇和川橋(赤色の橋)から野村方面へ進み、「栗木→」の案内板がある所から上がってすぐの所です。この場所は現在通行止めになっている区間に該当するので、解除されたら撮影しに行ってみよう。
 国土地理院の地図に碑の場所を示しましたので、ご覧ください。

【いったいどこにあるんだろう?】 台風が通過して雨が止んだので、艦上爆撃機”彗星”墜落(昭和20年2月8日)により亡くなった2名の搭乗員の霊を弔うために建立された「鎮魂の碑」を探しに野村町坂石を再訪しました。 地図に記されていた場所に行って...
27/06/2026

【いったいどこにあるんだろう?】

 台風が通過して雨が止んだので、艦上爆撃機”彗星”墜落(昭和20年2月8日)により亡くなった2名の搭乗員の霊を弔うために建立された「鎮魂の碑」を探しに野村町坂石を再訪しました。

 地図に記されていた場所に行ってみたのですが、樹木と古い小屋があるだけで碑はありませんでした(写真1〜5)。道路沿いにあるということで、同様の急カーブがある場所をいくつか訪れましたが、碑を見つけることができませんでした。

 う〜ん、分からん!

 もしかしたら、野村町惣川に向かう途中にあるかもしれないと思い立ち、そのまま惣川へ行きましたが、碑を見つけることはできませんでした。これは岡崎先生に直接お伺いするしか手はないかもしれません…。

 探訪のついでに西予市立惣川小学校に立ち寄り、二宮金次郎像の製作者確認の旅の続きができたのでよしとしましょう。

 坂石を訪れたので、船戸川橋と(旧)黒瀬川橋も撮影しました。合わせて投稿しますので、どうぞご覧ください。

【二宮金次郎像の製作者探索の旅】 台風が通り過ぎ、雨が止んだので、調査を再開しました。本日訪れたのは、西予市立惣川小学校。塗料が流れ落ちた関係で、角度によっては二宮金次郎が読書で感動して涙を流しているように見えるところが面白い。 残念ながら...
27/06/2026

【二宮金次郎像の製作者探索の旅】

 台風が通り過ぎ、雨が止んだので、調査を再開しました。本日訪れたのは、西予市立惣川小学校。塗料が流れ落ちた関係で、角度によっては二宮金次郎が読書で感動して涙を流しているように見えるところが面白い。
 残念ながら製作者は記されていませんでした。さあ、他の二宮金次郎像の製作者を確認する旅をどんどんしていこう!

【紫電改展示館へ】 ゴールデンウィークを利用して「二宮金次郎像の制作者確認の旅」を再開しています。その途中、念願だった紫電改展示館を訪問。海中から引き揚げられた機体と関わった方の証言及び記録を確認してきました。撮影が可能だったので、沢山撮ら...
02/05/2026

【紫電改展示館へ】

 ゴールデンウィークを利用して「二宮金次郎像の制作者確認の旅」を再開しています。その途中、念願だった紫電改展示館を訪問。海中から引き揚げられた機体と関わった方の証言及び記録を確認してきました。撮影が可能だったので、沢山撮らせていただきました。投稿しますので、どうぞご覧ください。

【写真が語る当時の社会】 本日は、企画展「木村伊兵衛 写真に生きる」を拝見するため新居浜市美術館へ。氏の業績を7つの章に分けて紹介していました。第1章 夢の島 沖縄第2章 肖像と舞台第3章 昭和の列島風景第4章 ヨーロッパの旅第5章 中国の...
25/04/2026

【写真が語る当時の社会】

 本日は、企画展「木村伊兵衛 写真に生きる」を拝見するため新居浜市美術館へ。氏の業績を7つの章に分けて紹介していました。

第1章 夢の島 沖縄
第2章 肖像と舞台
第3章 昭和の列島風景
第4章 ヨーロッパの旅
第5章 中国の旅
第6章 秋田の民俗
第7章 パリ残像

 チラシの表紙に使用されている写真は「秋田おばこ 大曲 1953年」。'おばこ'は「娘さん」という意味だそうで、初めて知りました。
 氏が撮影した写真は当時の風俗を収めており、その大半は現在失われてしまった貴重な記録。1936年の沖縄、毛沢東時代の中国や1950年代のパリ、横山大観・幸田露伴・泉鏡花・志賀直哉・谷崎潤一郎・永井荷風・六代目尾上菊五郎などの著名人の写真も展示していました。また構図も素晴らしく、写真部の顧問として本当に勉強になりました。
 企画展は6月21日(日)まで行われ、観覧料は1,000円(前売りは800円)です。どうぞ自身の目で写真をご覧ください。

住所

南黒田752-4グレースヴィラ 202
Iyo-gun, Ehime
791-3101

電話番号

+819028281973

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