14/07/2026
【野田の柱松】
萩市吉部下野田地区の「野田の柱松」は、かつて毎年7月14日に執り行われていました。現在、日程は7月の第2土曜に変更されましたが、今も地域の方々によって受け継がれている民俗行事です。
創始期は不明ですが、野田地区において牛疫が流行った頃に祇園社へ柱松を奉納したところ、牛疫が治まったことから、それ以降続けられているという伝承が残っています。農耕に牛が使役されない今日においても毎年執り行われています。(写真は令和3年(2021)に撮影)
以下、注進案にみられる県北部の柱松の記述です。
牛馬安全祈禱
盆中牛馬安全之御祈禱之由ニ而柱松と唱へ竹を上戸のことくしつらひ、其中へすくづ明松等を入置、高サ三間位ニ而立置、明松ニ火を付下より竹を動かし候へは花火のことく左右ニ散事ニ御座候
又(七月)七日より十四日まて柱松とて、少年の者相集大竹の末へ藁にて酸漿の形を拵へ、下より苧から松明へ火を付、投入ほうつきを焼捨戯と仕候、所により候ては盆踊とて夜中寄集り輪踊仕、手を打謡ひ戲れ候
又(七月)七日より十四日まて柱松とて少年の者集り大竹の末へ藁にて酸漿の形を作り、下より苧から松明へ火を付酸漿を焼捨戲と仕候、是は牛燈とも申、牛の難病を除く祭りと申傳へ候、或は夜中寄集り盆踊りとて手を打輪踊りなと催し候所も御座候
又七日より盆中夜々牛燈とて川原又は野中へ童部共群り、家々にて麦藁を貰ひ来り、二間餘の竿頭へ麦藁にて酸漿形のものを調へつけほうつきと申て是を建、麦藁竹なとの松明へ火を附、是を竿頭のほうづきへ投込戲れ候、此戲れなき年は水中より片目(シイ)と云うもの出候て牛多く死と申傳候、家々麦藁を吝み出し不申ものは牛必死と申